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美容室あんずの屋号、英字での表記が「Annezu」という理由2017.10.2

 

 皆さんご存知の名作「赤毛のアン」。わたしが初めて接したアンは、アニメの中の少女でした。

 

 “男の子“を養子として貰い受けるつもりでいたカスバート家。手違いで連れてこられた“女の子“アンが、その事実を知って悲嘆にくれます。農作業をしっかりと手伝える男手がカスバート家の望みなのです。
 もちろんカスバート家にとっても思いもよらぬトラブルではありますが、アンにしてみれば、(嫌いだった)孤児院を出ることができるという幸福の絶頂、まさにその頂から、今すぐ奈落に飛び込みなさいと宣告されたようなものです。それはそれは激しく泣け叫ぶアン。そんな中、マニラ・カスバートがアンに名前を尋ねるくだり、その場面のセリフをアニメ版第二話から一部引用します。

 


アン  「……でも、もしアンて呼ぶんだったら、Eの付いた方の綴りで呼んで下さい。」

 

マニラ 「綴り方でどんな違いがあるって言うんだね。」


アン  「あら!大変な違いだわ。Eが付いてる方が、ずっと素敵に見えるのよ。おばさんは名前が呼ばれるのを聞くと、まるで印刷したみたいに目に浮かんでくることってない? 私はあるの。Eが付いてるアンで呼んで下さるんだったら、コーデリアと呼ばれなくても諦めるわ。」


マニラ 「わかったよ。それならEが付いてる方のアン……」


 「アン」と呼びかける時には、“Ann“ではなく“Anne“という綴りを思い描いて発声して欲しいだなんて、面倒くさくもユニークな主張をするものです。しかし、“Ann“と“Anne“、見比べてみてどうでしょうか。確かに、アンの主張通り“Anne“の方が美しいとわたしも思いました。アンの持つ、美しさを捉える類まれな力に、十代だったわたしは気持ち良く打ちのめされたのです。
 そして翌週に観た次の回、番組冒頭。「赤毛のアン」のタイトルの上に、原題「ANNE OF GREEN GABLES」の文字がレイアウトされているのを見つけます。わたしの中で何とも言えない感情が動きました。(第一話での)アンの言葉を借りるなら、“嫌な気持ちじゃない痛み“を感じたのです。作者は、もちろん抜かりなく、タイトルのアンにも“E“を添えていました。当然ですね。でも、こんな当たり前のことを“発見“させてくれるのは、その物語世界が丹念に構築されている証左です。
 美しさを紡いでいくことへの静かで緻密な情熱。そんな憧れを芽生えさせてくれた作品が、「赤毛のアン」なのです。

 

 さてもう、お分かりでしょう。
 アン・シャーリーのAnneに“E“が付いていることを知ったその日から、それがアンパンであろうが安藤さんであろうが、とにかく“あん“をアルファベットで表記する際には全てanneと表さなければならないという刷り込み。それに、わたしはすっかり浸食されてしまっているというワケです。
 そして、これは“嫌な気持ちじゃない痛み“や、美しさを捉える感情、それらを恒に失ってはいけないぞ、というわたし自身への目印のような役割でもあります。
 そんなわけで「美容室 あんず」を、アルファベットでは「Hair Annezu」と表記せざるを得ないという話でした。

 余談ですが、アンの真の凄さは、実はこのユニークな感性のさらに奥にあると思っています。だって、先程の場面のような絶望のただ中にあっても、自らの心の世界が決して崩れない。そう、なんというタフネス。それこそがアンの真骨頂。
 どのような苦難に遭っても、へつらうどころか自分自身のスタイルを崩さない。しかも、初対面の大人に対してアピールまでしてのける。現代の日本では「空気読めよ」って非難されるかもしれません、がしかし彼女は、更に圧倒的な美徳も併せ持っているのです。
 それは、ひたむきさ。

 みんな最初は一様に怪訝な顔をして(孤児院出身という偏見も相まって)アンに接しますが、すぐに感じ取ってしまいます、その愛くるしいひたむきさを、その一生懸命な瞳の中に。

 

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